宇治平等院

asuka-life2010-12-30

年末ぎりぎりに訪れた場所は、京都、宇治平等院でした。


平等院の博物館を訪れると、携帯の待受画面に、雲中供養菩薩を無料で取り込めるらしい、行きたい、と夫が言い出したからです。
じゃあ俺(ヒヨコ君)も行く〜
えっ?じゃあ私も行くよ〜


出かけるきっかけなんて、いつもこんな感じで、大した理由なんてないですね(笑)


宇治平等院といえば、お馴染みの、10円硬貨のあの建物ですね。
国宝で、世界遺産にもなっています。


屋根の、あの鳳凰のシルエットは、実物は大変繊細で美しく、約千年も前のものだなんて、とても思えません。
しかも鳳凰の顔は、手塚治虫さんの火の鳥にそっくりです。


神社仏閣に興味を持つ理由は、皆さん様々です。
夫は、そこの場所の雰囲気を楽しむタイプ。
夫の両親などは、阿弥陀様などの仏像や、庭などを楽しむタイプ。


私はというと、なぜ建立されたのか?誰のどんな思いが込められたものなのか?
そんなことが知りたいタイプです。


精神世界的なことや、スピリチュアルが好きで、長い間探究していますが、
福祉を学んだのもまったく同じ理由からでした。


福祉に関わっていらっしゃる方はよくご存知と思いますが、
お寺などの仏教の場は、古い歴史の中では、福祉的な行為があった場でもあります。
奈良の法華寺などは、そのわかりやすい例です。
病気の人達をお風呂に入れたと言われています。
対価をもらってやっていたわけではなく、相手を思う気持ちからの行為ですから、
今でいうとボランティアですね。


さて、平等院に戻りますが、
建てられた当時は、朱塗りで色鮮やか、きらきらと黄金色に輝き、
極楽浄土をイメージしたものだったようです。
併設の近代的な博物館「鳳翔館」では、
コンピューターグラフィックでその再現の様子を見ることができます。
最近流行りの、窓辺に吊り下げて光を取り込むサンキャッチャーに似た飾りも、
阿弥陀如来の坐る蓮華に下げられていたようです。


私達は本来、光輝くエネルギー体であるといわれますが、
まさにそれを表現されているのが、あの世の極楽浄土ということでしょうか。


お堂の壁には、現世の行いにより、9通りのあの世からのお迎えの様子が描かれています。
現物はほとんど消えてしまってますが、これも鳳翔館で見ることができます。


私は、この9通りというのがおもしろかったのですが、
上中下の3通り、さらに上中下のなかでもそれぞれ上中下の3通りにわけられています。


江原啓之さんもよく言われている、
私達の現世の行いにより死後はそれぞれの階層に行くというのがありますが、
まさにそれなんでしょうね。


それを考えると、人は生まれてきて何をするのかは、
富や名声ではないんだということが理解しやすいのかとも思います。


平等院建立の当時、末法元年と言われていたそうで、
人々は未来が見えず不安いっぱいだったのでしょうか。
どこか景気のパッとしない今と似ているのかもしれないですよね。
そんな時だからこそ、人はなかなか物事に価値を見出せずに、
何かに救いを求めたくなるのでしょうね。


平等院などの極楽浄土を模した寺は、当時は人々のささやかな希望の象徴だったのでしょうね。
だから、阿弥陀如来様に祈りを捧げる場となったのでしょうね。


私達の祈りは神仏に届いているのでしょうか。
そして、私達はどのように行動していったらよいのでしょうか。


お迎えが来た時に、そのすべての解答がわかるのかもしれませんね。




さて、夫も無事に待受画面を入手した様子です(笑)

立ち姿の雲中供養菩薩の丸みを帯びたシルエットは大変美しく、色気がありお気に入りの様子です。
奈良の薬師寺日光菩薩月光菩薩も似たようなシルエットで、やはりお気に入りです。
母親を思わせるような、そんなあたたかさを感じるからなのかもしれませんが、
現代にも通じる色気だなぁ、と私も思います。
最近では、阿修羅像も美男子を思わせると、若い世代に人気がありますからね。
こんな楽しみ方もいいなあ、と思います。



平等院を堪能した後、歩いて15分くらいの場所にある、やはり世界遺産になっている宇治上神社へも参拝してきました。

正月を前にしてか、境内は隅々まで掃き清められていて、大変気持ちのよい神社でした。




みなさまに幸せな新年が訪れますように☆