倒れたヒヨコ

ヒヨコ君が倒れた。

今週から始まったばかりの、中学生活。

自由に選んで着ていた洋服は、詰め襟の学生服になり、凛々しい姿を見せてくれる。
けど、ヒヨコ君にとったら、しなければいけないことになってしまった。

肩が凝りそうでも暑くても、制服は着ていかなけれはならない。
活動的な年齢に、形の決まった学生服なんて、機能的というよりは規律を重視しているんだろ‥。


夫の母親に、成人して就職してからも、背広があるのに、皆さん詰め襟学生服を着て写真に写る姿を見せてもらった時は驚いた。
姑からつい最近見せてもらったアルバムだった。
詰め襟は軍隊の名残なのか???


子供達って、こうやって大人にさせられていくのか。
スピリチュアルでは、魂が身体に宿るだけでも制限があると言われるのに、これでもかと言うくらいに制限を増やしていく。
そのうちに、×××しなければならないと、いろいろなことは、だんだんと当たり前になっていくだろう。
大人になるって、そういうことだったのかと、今更ながら知る私。


中学では何かのクラブに入部することになるが、見学しただけで、相当疲れたと言い、今までよりもずっと遅くに帰宅した。

そのまま、ベットでゴロン、動かなくなってしまう。

あまりにも違う生活が始まったんだな‥と見守る。

しばらくソッとして寝かせておいた、が、

もしや?!
と思い様子を見に行くと、
やっぱり発熱していた。



そのうちに嘔吐下痢。
本日は給食の初日だったが、昼に食べたものを吐く。


疲れかも。



ヒヨコ君、実は、
入学式の日の夜、おじいちゃんが亡くなった知らせを聞き、夜遅くにお別れをしてきた。

私は離婚再婚しているので、ヒヨコ君は普通より多く祖父母かいる。

離婚した夫の方の祖父でした。

思い出がいっぱいあるおじいちゃん。
離婚後、再婚しても変わらず、ヒヨコパパや祖父母には、自由に好きなだけ会うスタイルをとっている。
それが、私とヒヨコ君が選んだやり方。
いつも二人で相談します。

「葬式で火葬しちゃうと、もう顔見れなくなっちゃうのね。どうする?お顔みてお別れしてこようか?」
と尋ねた。

「‥ウン、行く。」

ヒヨコ君は、私のお腹に入ってきてくれた時に、
自分の人生の選択は自分でさせて欲しい、というようなことを伝えてきてくれている。

だから、選べるようになった2才頃から、
「どっちの服がいい?青いの?赤いの?」

そのうちに、たんすの引き出しを開けて、
「どれにする?」

というような具合に。

どんなに小さくても、自分自身の中にちゃんと答を持っている。
私達は選べるということを、私は知るようになった。


今にも喋りだしそうに眠るおじいちゃんの顔を見て、嗚咽するヒヨコ君。

たくさん泣いていいんだよと、好きなだけ泣かせてやりました。




成長の中で、「そんなことで泣かないの!」「そんなことくらい、なんで頑張らないの!」「そんなことくらい、なんでもっと早くできないの!」と私はどれだけか言われ続けてきたし、涙を我慢してきた。隠れて泣いてきた。

そんなこと
って、一体どんなことなんだ。

泣いたらいいし、無理矢理頑張らなくたっていい。
気がすむまで泣いてからだっていい、ちゃーんと自分で歩き出せるようになるんだから。
その方がいいに決まってる。と私はいつも思う。本当はそうしたかったんだって、大人になってから、母親になってみてわかったこと。


吐き続けているヒヨコ。

しなければいけないことを、受け入れようと、心と身体が葛藤しているのかもしれない。

たくさんのストレスを一気に受けたんだろうと、私はヒヨコの背中やお腹をさすりながら、やるせない気持ちになる。


人生なんて、ゆっくりゆっくりでいい。
人と比べる必要はない。
皆それぞれのペースでいい。
自分はちゃーんとわかってるんだから。



苦しむヒヨコ君を見ていて、震災の被災地を思う。

家族を亡くし、生活にならないし、揺れ続ける日々、落ち着けなんて言うのも無理な話。
登山で夏の山小屋を楽しんでいるわけじゃないんだから、狭い、食べ物が十分ない、水もないって‥避難場所でこんなに長期間、ゆっくり眠れるはずはない。
ストレスで子供達の様子が変わるなんて、当たり前のはず。

昨日はまた大きく揺れたそうだが。

本当に心から祈りを捧げる。
寝込んで以来、私もテレビの報道を見続けるのは止めた。
ニュースを知り、それをただ思うだけで、こんなにいたたまれない気持ちになる。

昨日はお釈迦様の花まつりだった。
どうか皆の祈りが天に届きますように。