夫婦2(コミュニケーション)

さて、古い昔の時代にあるような名前を呼んでいた、入院中の夫の父親なんですが、
(前日の日記「夫婦」の続きです)


もう、その謎の名前を言うこともなくなってきてしまいました。
やはり、謎はこのままわからないかもしれませんね。


眠っている時間が増えてきていて、

目が覚めるタイミングなどに、遠退いていた感覚が戻ってくるのでしょうか、
時々、とても苦しそうな表情で顔をしかめたりされます。
とても身体がシンドイ状態のはずなんです。


時々目を開いても、見えていないかもしれません。


妻も、「もう私のこともわからないみたいよ」
と言われます。


私は、病室へ行くと、
見えなかったとしても、聞こえなかったとしても、
必ず声かけをします。


「こんばんは、お父様、顔を見にきましたよ。
外は暑いけど、今日は風が少しあるんですよ」
というような具合です。


すると、
ほんのわずかに、顔や耳を、
こちらへ向けるような様子をされて、
元気だった時にお話しをしていたような顔の表情に、
なろうとするような動きが見られました。


耳はとてもよく聞こえる方でしたので、
どうやら、ちゃんとこちらの声は聞こえているように思いました。


「そうですか」
と返事をされたかったのかな、と思いました。笑


私はこれまでも、
目の見えない方や、認知のできない方など、
何かしらハンデがある方とお会いする機会にも、
たいていいつも同じようなのんびりとした調子でお話しします。
それが私のスタイルなので。笑


相手の方が許す場合には、ブンブンと握手する場合もあれば(笑)
状況に応じて、手に触れて、ここに居るということを伝える場合もありますよ。


「ハグしていいですか?」
と逆に尋ねられたこともあり、
「いいよ〜!(^O^)/」
と、今までにない経験に一瞬驚きながらも元気に返事をしたら、


ギューッ!!!
とあたたかなハグをしてくれた知的に障害のある女の子もいました。
この時ほど、ホンワカ感激したことはありませんでした。


日本人は、ハグの習慣がないので、嫌がられるから尋ねてからするんだと、彼女は説明してくれました。


コミュニケーションって、様々な方法があるものですよね。
相手が嫌でないこと、
自分なりの方法で声かけやはたらきかけをしてみること、
それが表現のひとつになっていきます。


五感が必ずしも揃ってなくても、残されている機能が生かされれば、
お互いに確認ができますから、チャレンジです。笑


それにしても、会話や意思表示のできない状態の方と接する時ほど、
テレパシーのようなサイキックな能力があったら
どんなによいかと、いつも思ってしまいます。


それができないからこそ、この世に生まれて、相手の気持ちになってみては思いを巡らしてみる。
通じた時には、嬉しさを味わうし、
的外れだと、やはり自分とは違うんだと知ります。


皆、違ってあたり前ですし、違っていいんですよね。


そんな時には、誰かの、本当の気持ちなんて、やっぱりわからないもんなんだなぁ、と思います。


「明日は満月で、今夜もお月様がよく見えていますよ。また来ますね。」
と言って、昨夜は挨拶させて頂きました。





今夜は、どの人の気持ちの暗闇にも、月あかりが照らされたらと思います。