生きがいの創造 その2

[決定版]生きがいの創造

[決定版]生きがいの創造

「生きがいの創造1巻」の紹介です。

初版から改訂されていますが、実は随分読みやすくなっています。

私がこの本に出会ったのは、もう随分昔のことです。

ベストセラーにもなったと聞いています。

この本に出遭った数年後でした、私は人生の迷子になっていました。

生きているのか死んでいるか、虚ろな毎日を過ごして、いはゆる鬱の状態でした。

原因は何だったのかと尋ねられることがありますが、
個性的なありのままの自分が受け入れられず、
世間一般にいう、いい子として育てられてきた中で、
こうあるべき、こうでないと認められないという、
親の観念が自分の生きる世界となり、
そうした制限した狭い世界が、逆に自分を苦しめていたんですよね。

ですから、こんな状態ではダメなんだ、
と思えば思うほど、心はうまく回っていかないもので、
ついにはヒヨコ君の世話もできないほど重い状態になっていました。

それでもなお、気持ちだけは頑張ろうとしていました。

自分自身を愛することができず苦しんでいたんですね。

当時、ヒヨコ君は2〜3歳で、手はかかるけれども可愛い盛りですから、
本当ならたくさんのわがままを受け止めて愛情いっぱいに育てたい頃ですね。

けれど、母親の私の方がフリーズしていて、逆にヒヨコ君は本当に手のかからない子供で、
その笑顔にどれだけか助けられていました。

私が泣いていると、いつもティッシュペーパーの箱を持って走ってきてくれたり、
お腹がすくと、「パン焼いて!」と元気に訴えてくれていて、
小さな天使となり助けてくれていました。


けれど、この本を読んでいたおかげで、
死んでリセットした所で意味のないことなんだと知り、
こんなにつらい時間をやり直すくらいなら、
どんなに辛くても、ただ生きているだけでも
人生には意味があると信じていました。

そして何よりも、この辛い経験も自分が決めたきたことなんだと。

しかし、自分だけならともかくも、小さな子供の食事の世話さえも
できなくなった時には、ついに限界を感じて、
たまたま近所に出来たばかりの心療内科へ藁をもつかむ思いで連絡して、
重い身体を引きずり出かけていきました。
これは初めてのSOSでした。

精神内科や心療内科という所は、
今でこそ気軽に行ける場所になってきていますが、
病院なので、自分の状態に対して病気的な診断が下されます。
つまり病名がつけられてしまいます。

そして、たいていは薬が出されます。
私も投薬されて飲んでみましたが、
暗い気持ちにも関わらず、身体だけは不思議と動きます。
薬が動かしてくれます。
それを続けることでリズムを作り、生活に馴染んでいけるようにするんですね。

どんな薬なのかを、薬事典で調べてみると、
精神安定剤向精神薬、自立神経に働きかける成分で、
医師からは軽いものですといわれましたが、
実際には程度の重い薬でした。

薬で動けるわけなので、飲んでいるときは動けるのですが、
ないと不安になっていくのも感じました。
薬に依存するって、こんなかぁ・・とわかりました。
それが嫌だったので、なんとか早く良くなりたいともがいていました。

結局、薬がなくなる頃には、このままでは余計に復帰できなくなると感じて
子供と共に、しばらく実家に帰り静養しました。
この時は人生に敗退したという気持ちでいっぱいで、
もう何も考えられなくなっていました。

主婦も仕事も子育ても、なんでもやれなければ失格だと思い込んでいたんですよね。
親の世代に話すと、「私達だってやってきたんだから」と言われるだけで
結局は何の解決の糸口も見つからず、更に辛くなり、
けれどとにかく耐えていました。
このころには、もう泣くどころか、感情が表現できませんでしたね。
喜怒哀楽って何?って感じでした。