三陸海岸の思い出1
今回の震災で大きな被害の遭った、岩手県大船渡。
ここは、私の人生で一番最初に訪ねた東北の地でした。
あの静かな町が、あんな津波に飲み込まれたなんて、報道を見た時は、何かの間違いかと、ただぽかんとしてました。
時間が経つにつれて、何度も何度も津波の映像を見るうちに、何が起こったかがようやく現実としてわかるようになり、号泣しました。
20年前でした。
OLをしていた私は、まったくひょんなことから、突然に東北へ行けることになりました。
愛知県に住んでいたので、普段は週末に、岐阜、長野、富山などの、自然と温泉のありそうな所へよく行っていました。
当時はオヤジギャルと言われ、
温泉やゴルフをするような、そんなOL時代でした。
東北の行き先はどこでもよかったのですが、
会社の所属部所の課長が、珍しく東北出身の方で、宮古が奇麗だよ、とお勧めしてくれました。
早速JR時刻表を調べて予定を立てました。
今みたいにネットもありません。
愛知県から東北へは、線路をたどると随分遠いんですよね、とにかく時間かかります。
しかも、三陸海岸へ出ようと思うと、バスに乗り継ぎ更に時間がかかります。
それでも、今おもえば不思議ですが、
大船渡へ行くことにしました。
陸続きで夕方までにたどり着けそうなプランを考えたら、結局ココになったんです。
大船渡は、宿もたくさんなく、探して予約した宿は、バス停の前ではありませんでした。
するとバスの運転手さんが、「バス停じゃないけどここで降りたらすぐ宿だから」と途中で降ろして下さいました。
とにかく嬉しかったですね。
地元の人しか乗ってないような路線バスで、旅行荷物抱えた20代の私は、明らかによその土地から尋ねながらやってきたって感じだったと思います。
三重県に引っ越してみてよくわかるようになりましたが、田舎ほど、地元の人じゃないなぁ、ってすぐにわかりますよね。笑
旅は好きですが、気丈夫でいても、一人は不安がないわけではなく、親切は本当に身にしみます。
「ありがとう〜!」って心底嬉しかったのを、今もよく記憶してます。
泊まった宿からは、海が一望でき、お天気も良かったので、なんて静かでのんびりとした所だと、今でもあの海を思い出すことができます。
夜間や夜明けには、沖に漁火が見え、テレビの報道にあるように、漁師さんの町なんですよね。
宿で注文できる食事も海の幸でした。
確かウニ丼を注文したと思います。
私の大船渡での思い出です。