原発

午前中に、地元震源地の地震があった。
グラリと、ほんの一瞬、家が軋む音と、わずかな揺れ。

あ!地震

今までなら、気づかないような微細な揺れでも、最近はすぐに気づく。

連日、東北を中心とした地震情報が出る度に被災地を思うが、所詮、実際に揺れていない自分には、やはり本当の怖さはわからないだろう。
どんなことだって、実際に体験したことでなければ、やはり相手に伝えることなんかできない。



毎日使う、電気やガスなどのエネルギーについても、
あって当たり前で、今まで大して考えてきたこともないのだ。

唯一考えるとすれば、使いすぎは支払い金額が増えて、家計費に響くという、自分本意な側面のみ。

ちょうど地震の一月ほど前のこと。
電話がかかってきて、
オール電化にしませんか〜?今なら、〇〇会社の協力で電気代が更に2割お安くなりますよ〜」
とか言う。

〇〇社は、オール電化の施工・製品納入などで売上を上げる代わりに、電気代を肩代わりしてくれるのか?いや、オール電化はエコだという理由で、どこかから資金でも流れるようになっているのか?
などと、勝手にあれこれと素人詮索をしていた。

そこまで考えるなんて、疑い深くて、嫌なヤツ(苦笑)
でも決めるのは自分。
どんなことでも、納得できない、腑に落ちない何かがあるときは、なんだか不思議とあれこれと浮かんでくるもんなんだよね。

それにしても、確固とした理由もなく、不思議とムカムカ腹立たしくて、
「いえ、私はガスも使いたいのでいりません」
とキッパリとお断りした。
「あ‥そうですか」
意外、という感じで、電話はあっさり終わる。

それでも、なんだか腹立たしさは収まらなくて、
この際、ガスは置いといて、オール電化って、原発はいいわけ?
と、ブツブツとしばらく言い続けていた。

この時に、原発ってよくないんだろうけど、一体どんな風によくないんだろうか?調べてみないといかんな、と思ってた。
チェルノブイリって、一体どんなだったのか。
あんまりにも知らんすぎだと思った。

そんな後の、3月11日だった。
あの時のムカムカとした腹立たしさは、この地震が起きたことで「あ、これだったかも」と気持ちがストンとした。
こんな形で腑に落ちるなんて、納得っていうのとは違うけど、少なくとも、制御不能原発が良くないのは間違いない。

一番近い、浜岡の原子力発電所には、20年前に一度、見学に行ったことがあった。

浜岡には、近くまで行ったついでだったが、「まあ、なんてことないけど、原発は一度位は見ておくといいよ」と人から言われていて、立ち寄ってみた。

浜岡の見学できる施設そのものは、記憶があまりなくて、ただ巨大な施設で、見学のコースもでかい壁ばっかりの印象で、この時の私には、果たして中には何があるのか、さっぱり理解できていなかった。
ただ、なんか小さなものですごいエネルギーが出せるらしくて、未来型の資源らしいということだけを知った。

この日お天気も良く、駐車場には満開の桜が美しくて、桜と記念撮影をしていて、これが一番よく覚えていること。

なんかこういう施設がある町は、税金が安いらしい、という噂がある。
私は住んだことがないから、ただ噂なんだけど。

今、近隣にも中電の施設があり、やはりその町は水道代が安いとか、何やらは無料だとか、住民から聞かれ、市町村合併話なども成立しない。

津波警報の出た、3月11日の地震では、この町は、町ぐるみで早くから避難指示が出ていたようだったが、近隣の町でも、たくさんのコンビナートも抱えているのに、何の避難指示も出ず、のんびりのいつも通りで、津波の映像を見すぎたからか、拍子抜けしたくらいだった。こんなもんかと?実際に被害がなくてよかったんだけど。

たまに、起こってはいけない事故があり爆発音あると、何キロも離れてても、家の窓ガラスはビリビリ響いて、めちゃめちゃ驚くし、何日間も燃料なくなるまで燃えていたりするけど‥。



つい先日も、ニュースで原発を抱えている町の、町長さんや町民が話していた。

原発が作られる時、電力会社からは町民に金が配られ、今も町は電力会社から、多額の給付金のようなものを受け取っているそうだ。
子供の医療費も、中学生までは、窓口で支払った分の全額が、戻ってくる。無料だ。
危険な施設を作るんだから、このくらいもらっても当たり前なんじゃないか、と言っていた町民。
確かに危険過ぎる。
命の代わりに金でよいのか?

特別な産業もなく、資金も乏しい町では、その資金に頼らざるを得ない現実。
町では今後も推進に協力していくと語っていた。

福島の状態を見ても、生活のために止めるという選択が結局できないのだ。
人により、生活のためとはこんなに違うのか?

あなたのためだから‥
とよく言うんだけど、たいていが相手の立場ではなくて、私のための場合の方がよっぽど多かったりする。

この相互依存状態では容易には抜けられなさそうだし。

それって例えると‥、独立して暮らすと資金がいるし、親に家事はやってもらえる、子供が一緒に居てくれたら安心と思う親、いつまでも、ただ一緒に暮らす親子、親が死んで気付いたら独身だったし、自分も老後だった‥とか。
お互いに愛情もわかないとか言い争いながら、できるなら互いに離婚したいけど、生活のための金と、家族という形が安心という理由からすごく不満いっぱいなのに別れられない夫婦とか‥。
似てるか?相互依存?

しかし、原発となると、こういった個人レベルでの選択ではなくなってくる。

でも、そこには、どちらにも本当の平安な気持ちなんか存在しないのかも。本当は〇〇〇したいんだけどね‥って、いつも言ってたりするような。

どの選択も、一見、自分だけのためのもののような気がするけど、すべては繋がっているんじゃないかと思う。
私達の毎日は結局は小さな選択の繰り返しだから。




東京などでは、原発STOPデモなどが行われているが、命に危険を感じるから止めちゃおう、とだけの理由では、もはや容易に止められないのだろうか?

選択していかなければならない。

止めれるもんならすぐにも止めたい。
専門家の方々には、代替えの自然エネルギーの開発を急いでもらうとか、私達は便利すぎる生活を少しずつ手放すとかで、折り合いをつけていかなきゃいけないのか。

自分の子供達が安心して暮らせるようにするには、いったいどうしたらいいのでしょうか???

安心って何でしょうか?