六華苑2

六華苑1 の続きです


六華苑は、大正の初めに建てられました。

和館と洋館がドッキングした、珍しい造りです。

この当時、和風のものではなく、政府から洋風の建物を造るようにと言われたんだそうです。

なんででしょね?
江戸時代の終わりから明治時代以降は、日本は外国の影響を受け、大きく変化を遂げた時代ですから、洋風にしていくことが発展のイメージだったのでしょうかね。
明治政府は、アメリカの影響を受けて、神仏分離令まで出しています。
思考まで変えさせられていくんですね。
目に見えないけれど信じられるものがある、いつもお天道様が見てる、などという、
「信じる」という概念も、この頃を境にして変わり始めてしまったんですよね。
私達の先祖はいずれ神さまになっていく、私達はいつも護られているんだ、といったような、目に見える確かな証拠があるわけではないけど、そんな気持ちでいたら救われていくものがある、信じていこう、という日本らしいものは失われることと引き換えに、科学的な発展が始まります。
明治時代には電気配送や、ガス会社なども出来ましたから。

私には、そんなイメージのわいてくる洋館の部分なんです。

さて、その洋館は、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルさんのものなんです。
今残っているジョサイアさんの作品は少なくて貴重なんですね。

曲面ガラスの入った、円筒形の部分はなかなか素敵です。
トイレもこの時代には珍しい洋式です。

ガイドさんのお話に戻りますが、

このお屋敷には、女中さんが35人もいたそうです。
お客様が来て食事の時間にかかると、もてなしもできるように、蔵には食器類が一式あったそうです。

諸戸清六さんは、父親の同名をついだ二代目なんだそうです。

江戸時代に、父親の借金のかたに引き取られる所から運命が始まります。
借金の代わりですから、それでも大事にはしてもらっていたようです。

18歳になった頃、仕事を始めることになります。
まずは多少の資金も必要だと思い、父親の時代の親類などを周り、元手になる資金を借ります。
それで米を仕入れて売り始めました。
若くして、正直で誠実な商いの噂は、すぐに広まり、父親の多額の借金を返します。

その後も真面目に商売を続けていき、お金をたくさん手にすることになります。

すると、ある人が、「そんなにお金があるなら土地を買ったらどうだ」と教えてくれたそうです。
そうか、と思い、三重県の山林を買います。

ある時、東京へ行くと、1〜2年前には人気もなかった場所に、たくさん人が集まってきていることに気付きます。
そこで、東京の土地を調べ、山手線が走っているような土地をあちらこちら買い占めていったんだそうです。

日本でこんなに土地を持っているのは、自分の他にいないんじゃないかと思って調べてみます。
すると、いました、1番の人が山形に!
早速、1番の土地王がどんな人か見に行ったそうです。笑

土地王者は、本田さん(だったかな?)と言う方で、田んぼばかりを3つにまたがる村に所有している人でした。
広大な土地の稲作には、大変に驚いたそうです。
そして、諸戸さんは山形の本田さんと仲良しになったそうです。

その証拠に、本田さんの家を真似た100畳の建物や池を残しています。

諸戸さんは、借金のかたに引き取られ、学問こそ修めていませんが、「周りの人達がどうしたらよいかをいつも教えてくれる。そしてその中でも一番良さそうな方法をちょっと考えてみるだけ」というようなことを言われていたそうです。

これって、スピリチュアルな見方をしてみると、
いつも自分自身と繋がっていて、運命に逆らうことなく、大いなる存在や、ハイヤーセルフさんに見守られながら、ただその瞬間を生きていたから導かれたんだなぁ、と思いました。
一生懸命に生きる、という本当の意味はこういうことなんでしょうね。

今の政治家の方達のような、国会で言い争いをしているだけで一向に行動もしない、口先で言う一生懸命とは、まったく意味が異なります。

諸戸さんは、困っている人にお金をあげたり、懸命に汗水たらして働く人に楽しんでもらえるようにお金を使ったりと、稼いだお金を自分だけではなく、周りの人の幸せにも使っていきます。

本当の豊かさとは、独り占めするものではなく、こうして自分も周りも豊かになっていくものだと言われますよね。

ある時、お金をあげた方がお礼を言いにやってきます。
その時は、自分に必要な分だけ残して、困って泣いていたおばあさんと、そのお嫁さんに残り全部をあげてしまったんだそうです。

さてやってきたのは、ある紳士でした。
おばあさんの息子です。
大隈重信でした。

すごい巡り合わせだと、私もこの話には大変驚きました。

波長の法則って、こんなのを言うんでしょうか?!笑

桑名の町には水道も引いたんだそうです。
今でいう億単位の事業ですね。

ソフトバンク孫正義さんのようじゃないですか!

さて、戦や戦争では、なんとか焼かれずに済み、今の建物や庭が残されています。
今では市に寄附されて整備管理されています。



私の話はすっ飛びで、聞き間違いや覚え違いもあるかもしれませんが、だいたいこんなお話でした。

もっと詳しく楽しいお話は、六華苑に行くと聞かせてもらえますので、興味のある方はよかったらお出かけ下さいませ。

素敵な所だったので、またお天気の良い日に行ってみようと思っています。

6月になって、あちこちの神社から、夏越大祓の案内が届いています。
今年も、もう半分終わろうとしているんですね‥。