インドネシアから

インドネシアから日本に来て学ぶ看護師候補者の、滞在期間が一年間延長を認められたそうですね。

インドネシアからは、看護師だけでなく、福祉の介護福祉士でも、インドネシアから学びに来てみえます。

昨年、私が実習でお世話になった福祉施設でも、二人のインドネシアの女性が学んでいました。

私が会った彼女たちは、日本に来てまだ半年くらいだったかと思います。
彼女たちは日本語も随分学習していて、こちら側が話すことはほとんど理解できていました。
言葉がまったく違いますから、驚いたし感心しましたね。

尋ねてみると、彼女たちは選ばれた候補生で、大変優秀な人材なのだと感じました。
来日前には、まずは日本語を学習したそうです。

来日してからの彼女たちの予定は、三年間で日本語による介護福祉士としての知識と技術を学び、日本人と同じ、日本語での受験で合格しなければなりません。不合格の場合も、延長はありません。
チャンスは一度きりです。

なんとしても、合格しなければいけないというわけです。

看護師も介護福祉士も、専門用語がたくさんあります。
どちらも相手あっての仕事で、現場では広くコミュニケーション能力が求められます。
日本人の私たちでも、毎年の合格率は決して高いとはいえません。

彼女たちだけでなく、指導する施設側も、彼女たちの学習や普段の生活面までフォローにあたっていました。
学習もさることながら、日本での慣れない気候や暮らし、食事などの健康にも気を配り、できるだけ不安のない安心できる環境で学べるように努めているのが見受けられました。



さて、そんな彼女たちですが、
私もインドネシアの人と会うのも話すのも初めてでしたので、どんな感じの女の子たちなんだろうかと、会えるのをワクワクと楽しみにしていました。

見た目の肌の色は私達よりほんの少しだけ褐色かかっていて、大きく輝くような美しい瞳をしています。
明るくて元気、そしてやさしい、素敵な女の子たちです。

施設に入所してみえる高齢者の方たちに、やさしく声かけをして、先輩の指導を受けながら介助をしていきます。
もちろん習うことは、日本人の私達と何ら変わりありません。
ただ、やはり言葉のハンディがありますから、そのあたりに時間が必要となるようでしたが、何回もやりとりをしながら学んでいました。

彼女たちとは一緒にお昼ご飯を食べたりしたのですが、宗教上、肉を食べないくらいで、出された給食を食べていました。
口に合うか尋ねてみたら、大丈夫だと言っていました。
確か、唐辛子をふりかけみたいにしてかけていたような?覚えがあります。笑

普段は明るい彼女たちも、インドネシアにいる家族のことを思い出すと、やはり寂しいと言っていました。
それに三年間という期間に、失敗できないという緊張感を持っているようでした。

なぜこの道を選んだのか尋ねてみると、
「とにかく日本に来てやってみたかった」と言っていたのが印象的でした。

実は一人の方は、自分の小さな子供をインドネシアに残してきていました。
それだけ日本に夢や希望を持ってきているんですよね。

候補生の皆さんの志しは、実際には私の想像以上のものでした。
この高い志しで、現場で三年間も学べば、例え一回の試験に合格できなかったとしても、立派に働けるだけの技術を身につけることができると思います。
この先、彼女たちの努力の結果、合格できるように願わずにいられません。

看護師の滞在延長の記事で、「(日本とインドネシアの)外交上の配慮」という言葉が目にとまりました。

本来、私達人間の可能性は無限なはずですから、候補生の皆さんの、普段の現場での姿なども、よく見てもらいたいなと思いますし、延長してチャンスを作っていくのは、外交としてと言うよりも、あと一歩の所まで来ていて、可能性の芽を摘んでしまわないためにも、あるべきだと思いますね。

彼女たちの瞳がさらに輝くのを祈りたいと思います。


Terima Kasih(タリマ ッカシ)

彼女たちに教えてもらいました。
インドネシア語で「ありがとう」です。