宣告2

父が今回宣告を受けたのは、
胃がんと、肝臓がんです。

なんだか胃の調子が悪かったそうで、
かかりつけ医師に診てもらいます。

胃カメラを飲んだ結果、早速大きな病院へ行くよう紹介されます。

そこで検査をいくつも受け、胃と肝臓の癌の診断が出ました。

前立腺の時と同じで、
やはり信じられない様子ですが、「あきらめてる」と言っています。

癌の治療は、
本人の病気の状態により、どの薬を選択するか、いくつかが提示されました。

そして、本人の意思を一番に尊重して選びました。

入院をして抗がん剤を投与し、その様子をしばらくみて過ごします。
そして退院して自宅で過ごします。
一定期間自宅で過ごしたら、再び入院して、抗がん剤投与。

これを生きている間、繰り返していくんだそうです。

これまで、排尿に関してストレスを抱えてきた父でしたが、
この先新たに、抗がん剤による副作用が出てくる可能性があります。



実は、私は、残された人生の時間を、
やり残していたり、
やってみたいことなど、
少しでも楽しんで悔いなく過ごしてくれたらいいと、
娘としては思っていました。
これまて懸命に働いてきた父の姿を見てきましたから。

しかし、本人は、
先が見えてしまったら、少しでも生きていたい、という気持ちになっていて、
病気と闘う決意をしたようでした。

人生の過ごし方って、どれが正解かなんて、誰にもわかりません。

自分が選んだ道が、自分の人生です。

父たちが輝いて生きてきた時代は、日本の高度成長期です。
人生って辛くて当たり前、懸命に働くだけ、という時代だったようです。

義父もやはりそうでした。
後半は「こんなはずじゃなかった」といつも呟いて、
病気の苦しみと共に、また懸命に生きる姿を見せて頂きました。

そんな父たちの生き方は、
働くことだけでなく、病気に対しても同じ捉え方をしているようですね。

いつも言っているのですが、
私自身は、人生って、長さでないと思っています。
どれだけ輝いて光を注いでこれたのか、
ただそれだけだと思っています。

父にとっては、病気と闘うことそのものが、輝きになるんでしょうか。

それなら、私達家族は父の意思を尊重して、ただ見守るしかありません。

この先、痛みや苦しみを分かち合うのが家族の役割なんでしょうね。

辛い気持ちを一緒に感じて過ごしていくことに、
私の家族の学びや意味があるんだと、今私は思っています。

少しでも父の気持ちを感じて受けとめていけたらと、そんなことを思っています。