生きがいの創造 その5

お世話になった食物科の、ある先生に、
人生に変化があったので引っ越します、
と話すと、こんな内容のことを言われました。


具体的に動くと、人生って変化していくんだよね。
私もそうだった、と。



離婚後は、ヒヨコ君と二人の母子家庭で過ごしていました。
夫とは、離婚後、お互いに大きな気づきが起こり、
ゆっくりでしたが、子供を通しての、いい関係を持てるようになっていきました。


私は生活していくために、就職しました。
夫からの十分な援助も受けました。
子供の意思を一番に尊重して、
子供とも自由に会ってもらいました。


私は、子供の幼稚園のお弁当作り、送り迎えをしながら、
パートでしたが、フルタイムの仕事に疲れて、
制服のまま疲れて寝てしまい朝になるような大慌ての日々でした。
けれど、自分のペースで暮らせるようになったことで、
逆にすっかり元気を取り戻し、
気持ちを少しずつ解放することができていって、
周りからは、「いつも楽しそうだね」と言われていました。
鬱状態だったとは、とても思えない、楽しい毎日でした。


しかし、親たちからは、ただ不憫がられていました。
実家のすぐ近所に住んでいましたが、
母親(私)がいるのに子供を(実家に)預けるなんて、
早く迎えに来い、の一点張りでした。
子供を抱えた女性が、生活のために働くという現実を知らされました。
幼稚園の帰りは早いので、実家に預けに行っては職場に戻る毎日で、
仕方なかったのでした。


血の繋がった自分の母からは、なかなか真に欲しい助けは得られないまま、
ヒヨコ君が小学校に入学してからは、学童保育を利用することにしました。
学童保育は利用料が随分かかり、結局は給料の多くをつぎ込みましたが、
子供を大切にしながら、親が安心して働けるようサポートしてくれて
大変ありがたいものでした。

この頃、私が一番苦しんでいたのは、
私と、私の母との不調和でした。
物心ついた頃から、私は母に対して疑問を持っていて、
事あるごとにその疑問をぶつけていました。
預けていたヒヨコ君を、仕事帰りに迎えに行っては、毎度、母ともめるのです。


私が欲しい助けは、働いている間だけは、安心して世話を頼めることでしたが、
母は、とにかく早く迎えに来い、だったのですから、
ヒヨコ君を実家に迎えに行き、車に乗せ、自分の家に帰る車の中で
私は毎日毎日オイオイ泣いて、「ヒヨコ君、私、間違ってないよね?」と
叫んでいました。
これが、この頃の唯一のストレスでした。


幸せは、自分の心が決めるとよく言われますが、
本当にそうです。
親以外の皆さんからは、楽しそうだね!と言われ、
実際にとても楽しく過ごしていましたが、
自分以外の他からは理解など得られないものです。


けれど、今現在は、この頃の経験も生きています。
現在、近くに住む義母(現在の夫の母親)は、私が必要な時には飛んできて
サポートしてくれます。
何回もしてきた引っ越しは、いつも一人でしてきたのですが、
手伝いに来てくれた身内は、最初にも最後にも今の義母だけでした。
引っ越し祝いの寿司を持って、手伝いに駆け付けてくれたことは忘れられません。
自分の母親にもされたことのない、私への理解や助けを
義母は不思議なほどいつもしてくれて、
言葉では言い表せないほど私は嬉しくて、
よくウルウルと感激の涙を流して有難がっています。笑
義母のお陰で、「私、幸せなんだぁ・・」
と感じられるようになっていったのです。


こうして、当たりまえの日々に幸せを意識できるようになってくると、
なぜか不思議と幸せなことが多くなっていきます。
宇宙は、私の幸せサインをいつも読み取っていて、
そんなに幸せなら、もっと幸せをあげよう!
と、次々と幸せのタネを届けてくれるようになるんです。


あの辛かったたくさんの過去が、こうして生きてくることで、
自分の母親に対して、ようやく感謝ができるようになりました。
感激して泣く私に、義母は、
「こんなことで喜んでくれるなんて、お母さんに感謝しなきゃね!」
と言いながら、一緒に泣いて喜んでくれる感激屋さんです。
「お嫁さんは、お姑さんに似るのよ!」なんて言いながら、二人で泣き笑い。
本当に素敵な、ちょっと自慢の義母です。笑


こんな未来が来るなんて、あの頃の私にはまったく考えられませんでした。
人生のある時期がくると、ジグソーパズルのピースがようやく集まってきて、
「だからあんな辛い経験もしたんだ」とわかるのではないかと
思うようになりました。
私達を導いている、俗にいう、守護霊さんやガイドさんという
見えない存在たちは、ただ私達の真の成長だけを望んでいます。
この世にある価値ではなく、スピリットとしての本来の姿での成長です。
いろいろな経験をするために私達は生まれてきているんですね。
光があるから陰ができます、陰があるから光の明るさに気づきます。
辛いことがあったから、嬉しいことに感謝でき、
ラッキーなことがあったから、残念なことを知ります。
どちらか一方だけでは、なかなか学べないのが私達みたいですね。


そして、付け加えておかなければいけないのは、
ヒヨコ君と二人で過ごした時間は、
何か見えない存在に見守られた、
とても不思議であたたかな日々でした。


過去の日記にほんの少しですが登場しています。
トトロと暮らした日々です。
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2011-07-03 - い ろ は う た