たまねぎ画家、磯部則男さんのこと

心で生きる―たまねぎ画家の半世紀

心で生きる―たまねぎ画家の半世紀

2009年2月、梅のほころぶ、冬の穏やかなある日でした。

この日、私は初めて画家の磯部則男さんにお会いしました。

絵具のついた洋服を着た磯部さんは、手足が不自由なため、車椅子に乗ってアトリエにみえました。

とてもにこやかに、奥様が出迎えて下さいました。

磯部さんに、はじめましての挨拶をし、この時ご一緒させて頂いた他のみなさんとも挨拶をし、握手をしあいます。

盲人のTさんと奥様、車椅子の青年Hさん、ボランティアのIさん、他の方。




この時、他の皆さんと会うのも、はじめてでした。

どういういきさつでこの場に私がご一緒させて頂けることになったのか、
なんだか気づいたらここに居た、皆さんとはそんな出会いでしたが、
ボランティアのIさんのコーディネイトでした。




はじめて会うので、なんだか照れくさそうにしてみえた磯部さんも、
おしゃべりが進むうちに、だんだんと私にも慣れて下さり、とても朗らかにたくさんの興味深い話をして下さいました。

アトリエには、キャンバスがいくつもあり、たまねぎなどの野菜が転がっています。

磯部さんといえば、何といってもタマネギの絵が有名で、TV番組の徹子の部屋にもその絵が飾られています。




この日、皆さんとどんな話をしたのか?
具体的な内容は忘れてしまいましたが、それぞれの普段の何気ない日々の話に、始終笑いがあふれていて、とにかく楽しいひと時でした。

障がいというハンデなどまったく感じることのない、各人の話す日常は、五体満足なはずの私なのに、とても真似のできないようなパワフルでダイナミックな日常で、ただただ驚きでした。

私は、五体満足という障がいを抱えているんじゃないのか?
そう思わざるをえないくらいの衝撃的なものでした。




それからしばらくして、Iさんがこの日に皆さんと一緒に撮影した一枚の写真を下さいました。

全員が笑う記念写真でした。

この写真はなんとなく、いつも自分だけが目につく所に置いていました。





今年の春が過ぎた頃からです、いつも見るその写真が、妙に気になり始め、度々眺めていました。

ありきたりかもしれませんが、私にはあの楽しい時間がまるで昨日のことのように感じられる一枚の写真です。

ここには大切なメッセージがあるのは実はわかっているのですが、それにしても、この写真が妙に気になり始めていました。

そんな7月のある日でした。

磯部さんが亡くなったのを新聞で知りました。

「あ・・・」口をぽかんと開けたまま言葉を失いました。



67才の磯部さんでした。

この病気でこの年齢まで精力的に生きた磯部さんのことは、自叙伝を読むと知ることができます。

私が出会った頃は、ようやくご自分の人生の穏やかな幸せを感じてみえた頃なのではないかと、今になって、私は思いました。

それは、先日Iさんから聞くことになった、磯部さんの最期でした。

奥様が外で畑仕事をしてみえる間、今日は身体がちょっとえらい(しんどい、辛いの意味)からと休んでみえたそうです。

そして奥様が戻られた時には亡くなってみえたと。



このお話を聞いたとき、磯部さんは人生を全うされたんだなあ・・と感じずにはいられませんでした。

輝いた時間だったんだと。

たまねぎの絵は、そこに磯部さんが生きているようで、本当に深い味わいがあり、

私の手元の一枚の写真の時間は、私にとっては今も輝いたままです。



人生の輝きとは、スピリットの世界から見ると、嬉しいときだけのことではありません。

苦しいときも、悲しいときも、どうしてよいかわからず死にたいと思うようなそんなときでさえも、生きるという時間は輝いています。

私もハイヤーセルフさんからメッセージをもらうと、
苦しい状況のときほど、光を、輝きを、こめていただろう?あのときのことを忘れたのか?
というようなことを言われます。

そうなんです、どんな苦しみの状況でさえも、私達は誰ひとりとして、天から見放されてはいない。

ジタバタと、もがいてでも生きようとする、自分の人生をどのように創造していくのか、見守られているようです。




生き抜くこと。

磯部さんが教えてくれたことです。




さて、ヒヨコくんたちが、今年もNHK合唱コンクールに向けて夏休み返上で毎日練習をしています。

今年の中学生の課題曲はYUIさん作曲「fight」
がんばれ、がんばれ、と人生を応援する歌はコチラです。

http://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/kadaikyoku_j.html