夏休みの思いで 2

赤福氷、食べたいね〜!いつ行く?」

と、大して遠くもないのに、夏休みに伊勢までなかなか行けないでいました。

中に赤福が入っています。




私「あっ!!!あそこに行ったら食べられるよ!」

夫「あそこ?・・・あーーー!」

サービスエリア・お買物 | 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本

こちらの東名阪道サービスエリア「赤福茶屋」でも食べられます。

ちなみに、こちらは、外からも入れます。



結局、その後、伊勢に行きました。笑

秋になったので、来年の夏のお楽しみですね。

夏休みの思いで 1

今週になり、夜中に寒くて窓を閉めるような日も出てきました。

三重県に来てから気づくようになったのですが、毎年9月の10日頃になると、暑いながらも、突然季節が変わる日があるんですよね。

名古屋にいた頃には、暑すぎてわからなかった感覚なのですが、さすが自然が多い環境ならではなんですね。

太陽の傾き、空の色、風の匂い、虫の声などなど、お盆以降、季節の移り変わりを感じます。

さて、夏休み中は、書くことをお休みしていたのですが、日記程度のことを、忘れないうちに、いくつか書いておこうかとなと思います。



今年も夏休みになると同時に「家族旅行だ!」と張り切っていたダーリンでしたが、

ヒヨコ君が、日頃の疲れと暑さからか、発熱、ダウンしてしまいました。
頑張りすぎたんでしょうね。

医師によると、真夏の発熱は、なかなか回復しづらいということ、発熱は1週間も続きました。

3日目が過ぎた頃から、「これは長期戦になりそうだね・・覚悟して看病だね」と、のんびり構えることにしました。

病気の看病は、こちらも眠れないので疲れて、子供が元気になった頃にホッとして大抵ダウンです。
「こらー!」なんて、怒ってるほうがいいもんです。笑

それで旅行なんですが、こんな時って、わかっているんでしょうね、どんなに計画を練ってみても、何かが足りなくてしっくりこないんです。
随分前から、何度計画を練ってみても、決めてに欠けているのです。

未定の延期です。

というわけで、この写真は何って?笑

農協のお店でブルーベリーが売っていたので、久しぶりにジャムを作ってみました。

家族揃ってのんびり家で過ごせることも、普段はなかなかないので、一緒に心配しながらもいられるって、
幸せだよね、とダーリンと話した真夏の1週間でした。笑

コンクール

ヒヨコ君たちは、音楽コンクールに出場するために、夏休みもお弁当を持って、朝から夕方まで毎日毎日猛練習してきました。
土日も、もちろん返上。

「あーゆっくりしたいなあ〜」と呟くヒヨコ君。
毎日練習時間より随分早めに出かけていきます。

さて、その目標にしてきたコンクールを無事に終えました。

県内の中学校が一同に出場する吹奏楽コンクールの三重県予選。
NHK合唱コンクール、通称Nコン。

三重県では、大きなホールのある、県の真ん中に位置する津市や、四日市市などで開催されます。

子供たちは観光バスに乗り込み、大きなトラックには楽器をたくさん詰め込んで集まってきます。
県の南部にある学校などは、会場のある場所に来るにもかなりの時間がかかるはずです。

南部の熊野方面などへは、高速道路も随分伸びたとはいえ、
私はいつも峠越えを楽しんで運転をするほどですが、

県内に住む私達でさえ、「よし!行くぞ!」と、思いきらないと、なかなか出かけられない太平洋に面した県の南部です。

もうすぐ開催のある熊野の花火大会は、大変有名ですが、そう気楽には出かけられないような、混雑具合といい(車の方は帰宅が翌朝になるくらいの覚悟してくださいね)、花火のダイナミックな規模といい、とにかくすごい花火大会です。笑

一見の価値ありです!!!
初めての方は、覚悟してお出かけくださいませ。笑

さてさて、そんなわけで、会場では、どこの学校も気合十分で集まってきているのです。




今年は、私もゆっくりと各学校の演奏を鑑賞したのですが、本当にレベルが高く驚きました。

これが中学生の吹奏楽?!
とても上手いんです!

私が中学生の頃にやっていたのとは、とてもくらべものになりません。

どの学校も甲乙つけがたい中、とびっきり上手い学校が更に上の大会に出場することになります。
随分練習してきたんでしょう。
ネットなどもあるので、情報なども得やすくなり、指導する技術もよくなっているとのこと。

ここまでレベルが高くなってくると、残す採点の明暗は、お互いの楽器の役割や個性を、どれだけ尊重しあえる演奏が出来ているか、
というような講評でした。

うーん、これは、人間関係でもいえることです。
だれもが自己主張をし始めると不協和音になってしまいます。

合唱でも合奏でも同じですが、音楽から学べることもたくさんあるんですね。

様々な音を重ねることは、大きく、そして深みのある音になっていきます。

大きなエネルギーを生み出していきます。

音楽を通じて、子供たちも大きく成長しています。

ヒヨコ君たちは残念ながら選ばれませんでしたが、心に届く繊細で素敵な音色を聞かせてくれました。




たとえ選ばれなくても、精一杯やってきたと思えるような、そんな過程が、思い出を作ります。

過去を振り返った時に、今より素敵な時間だったと思うようなことは、確かにありますが、
過ぎた時間にもう戻ることはありません。
そこへは二度と戻れません。
今のこの瞬間の時間しか、私達にはないということに気づいたとき、
果たしてどのように生きていきたいのか?



お盆休みが終わると、ヒヨコ君たちも次の目標へ向かって練習再開です。

コンクールなどは、この瞬間が紡ぎだした成果でしかありません。

子供たちはいつも、大人の私達がとっくに忘れてしまっているような、
どきどき、わくわく、はらはらするような、チャレンジすること、楽しんで人生を生きることを
教えてくれますね。

子供たちだけでなく、大人の私達も、輝いた時間を過ごしていきたいなと、
私はいつも思っています。

たまねぎ画家、磯部則男さんのこと

心で生きる―たまねぎ画家の半世紀

心で生きる―たまねぎ画家の半世紀

2009年2月、梅のほころぶ、冬の穏やかなある日でした。

この日、私は初めて画家の磯部則男さんにお会いしました。

絵具のついた洋服を着た磯部さんは、手足が不自由なため、車椅子に乗ってアトリエにみえました。

とてもにこやかに、奥様が出迎えて下さいました。

磯部さんに、はじめましての挨拶をし、この時ご一緒させて頂いた他のみなさんとも挨拶をし、握手をしあいます。

盲人のTさんと奥様、車椅子の青年Hさん、ボランティアのIさん、他の方。




この時、他の皆さんと会うのも、はじめてでした。

どういういきさつでこの場に私がご一緒させて頂けることになったのか、
なんだか気づいたらここに居た、皆さんとはそんな出会いでしたが、
ボランティアのIさんのコーディネイトでした。




はじめて会うので、なんだか照れくさそうにしてみえた磯部さんも、
おしゃべりが進むうちに、だんだんと私にも慣れて下さり、とても朗らかにたくさんの興味深い話をして下さいました。

アトリエには、キャンバスがいくつもあり、たまねぎなどの野菜が転がっています。

磯部さんといえば、何といってもタマネギの絵が有名で、TV番組の徹子の部屋にもその絵が飾られています。




この日、皆さんとどんな話をしたのか?
具体的な内容は忘れてしまいましたが、それぞれの普段の何気ない日々の話に、始終笑いがあふれていて、とにかく楽しいひと時でした。

障がいというハンデなどまったく感じることのない、各人の話す日常は、五体満足なはずの私なのに、とても真似のできないようなパワフルでダイナミックな日常で、ただただ驚きでした。

私は、五体満足という障がいを抱えているんじゃないのか?
そう思わざるをえないくらいの衝撃的なものでした。




それからしばらくして、Iさんがこの日に皆さんと一緒に撮影した一枚の写真を下さいました。

全員が笑う記念写真でした。

この写真はなんとなく、いつも自分だけが目につく所に置いていました。





今年の春が過ぎた頃からです、いつも見るその写真が、妙に気になり始め、度々眺めていました。

ありきたりかもしれませんが、私にはあの楽しい時間がまるで昨日のことのように感じられる一枚の写真です。

ここには大切なメッセージがあるのは実はわかっているのですが、それにしても、この写真が妙に気になり始めていました。

そんな7月のある日でした。

磯部さんが亡くなったのを新聞で知りました。

「あ・・・」口をぽかんと開けたまま言葉を失いました。



67才の磯部さんでした。

この病気でこの年齢まで精力的に生きた磯部さんのことは、自叙伝を読むと知ることができます。

私が出会った頃は、ようやくご自分の人生の穏やかな幸せを感じてみえた頃なのではないかと、今になって、私は思いました。

それは、先日Iさんから聞くことになった、磯部さんの最期でした。

奥様が外で畑仕事をしてみえる間、今日は身体がちょっとえらい(しんどい、辛いの意味)からと休んでみえたそうです。

そして奥様が戻られた時には亡くなってみえたと。



このお話を聞いたとき、磯部さんは人生を全うされたんだなあ・・と感じずにはいられませんでした。

輝いた時間だったんだと。

たまねぎの絵は、そこに磯部さんが生きているようで、本当に深い味わいがあり、

私の手元の一枚の写真の時間は、私にとっては今も輝いたままです。



人生の輝きとは、スピリットの世界から見ると、嬉しいときだけのことではありません。

苦しいときも、悲しいときも、どうしてよいかわからず死にたいと思うようなそんなときでさえも、生きるという時間は輝いています。

私もハイヤーセルフさんからメッセージをもらうと、
苦しい状況のときほど、光を、輝きを、こめていただろう?あのときのことを忘れたのか?
というようなことを言われます。

そうなんです、どんな苦しみの状況でさえも、私達は誰ひとりとして、天から見放されてはいない。

ジタバタと、もがいてでも生きようとする、自分の人生をどのように創造していくのか、見守られているようです。




生き抜くこと。

磯部さんが教えてくれたことです。




さて、ヒヨコくんたちが、今年もNHK合唱コンクールに向けて夏休み返上で毎日練習をしています。

今年の中学生の課題曲はYUIさん作曲「fight」
がんばれ、がんばれ、と人生を応援する歌はコチラです。

http://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/kadaikyoku_j.html

被曝隠しと、「骨のうたう」と、いじめ

線量計に鉛カバー。

福島第一原発の工事で、下請け会社が行っていたらしい被曝隠し。

「線量がなくなったら生活していけねえんだ。わかる?50ミリがどんどん目減りしていくわけだから」

「鉛で隠さないと、線量なくなったら仕事にならないんだ」

「高線量のところは誰もやんねえ、他の業者は。だから、・・・とかにまわってくるわけ。その代わり高いのよ、お金が」

昨日の朝刊に出ていた、会社の役員と作業員の間でかわされた会話の一部。



この記事を読んだ瞬間に、竹内浩三の詩「骨のうたう」を思い出しました。

愚の旗

愚の旗

****************
  「骨のうたう」
  戦死やあわれ
  兵隊の死ぬるや あわれ
  遠い他国で ひょんと死ぬるや
  だまって だれもいないところで
  ひょんと死ぬるや
  ふるさとの風や
  こいびとの眼や
  ひょんと消ゆるや
  国のため
  大君のため
  死んでしまうや
  その心や

  白い箱にて 故国をながめる
  音もなく なんにもなく
  帰っては きましたけれど
  故国の人のよそよそしさや
  自分の事務や女のみだしなみが大切で
  骨は骨 骨を愛する人もなし
  骨は骨として 勲章をもらい
  高く崇められ ほまれ高し
  なれど 骨はききたかった
  絶大な愛情のひびきをききたかった
  がらがらどんどんと事務と常識が流れ
  故国は発展にいそがしかった
  女は 化粧にいそがしかった

  ああ 戦死やあわれ
  兵隊の死ぬるや あわれ
  こらえきれないさびしさや
  国のため
  大君のため
  死んでしまうや
  その心や
****************

線量計隠しの記事の脇には、「いじめられている君へ」というタイトルの
日替わりの呼びかけ記事。
昨日はラジオDJ山本シュウさんの呼びかける内容でした。
TBSラジオの「全国こども電話相談室・リアル!」という番組で相談を受けてみえる方です。

・・・あなたの命はあなただけのものじゃない。
あなたがつらいと、僕もつらい。
あなたが死んだら、僕は悲しい。
あなたの命は僕にとっても大切な命。・・・

そう呼びかけられて活動をなさってみえます。


子供社会は、大人社会の映し出しのようなもの。
自殺の練習をさせられていた、などという、大津のいじめで、尊い命を亡くした事件。
残酷な子供社会を作ってしまっているのは大人の私達の責任・・

今私達にできるのことは何か?
私の家族はSOSを出していないか?
あなたの家族はSOSを出していないか?
私やあなたの知っている人はだいじょうぶか?

骨がききたかった愛情のひびき。
命が一番尊ばれなければいけない、私はそう考えます。

ルリアリ

3〜4年前から、真夏になる前の、梅雨の時期になると、小さなアリが家の中に入って来るようになりました。

体長2ミリほどで、ルリアリというそうです。

彼らは、ちょっと変わっていて、行動がつかめなくて不思議なんです。

一番最初に発見した時、2階のヒヨコ君の部屋にいました。
ここには食べ物などありません。
けれど集まってくるのです。
追跡したのですが、一体どこから侵入してくるかもまったくわかりません。

毎日毎日表れるうちに、どうやらテッシュペーパーの箱が目的で集まってくることがわかりました。

一体何のために?

ネットで調べてみると、どうやら、テッシュペーパー箱に営巣しようとしていることが判明。

彼らは、木々の何層にもなっている柔らかい皮の間に巣を作るらしく、折り畳まれたテッシュペーパーが、それと環境が似ているために集まるのだそうです。

台所のキッチンペーパーに集まる事例もあるとわかり、仰天です。

集まる目的がわかったので、テッシュペーパ箱を撤去すると、来なくなりました。

最初に発見した時は、まさか2階にアリがいるなどと思ってもいなかったために、気づくのが遅くて、外国製の発泡スチロール製品のオモチャのパーツも、ガリガリにかじられてしまっていました。

この発泡スチロールは、ちょっと変わった感じでしたが、もしかしたら食品由来で美味しかったのかと思うほどでした。

このルリアリは、朝になると我が家へ出勤して、暗くなると自然にいなくなっています。

毎年来るんですが、侵入経路はいまだかつて不明のまま。
本当に不思議なのです。

大雨後などに出没するのをみると、雨水から逃れてくるのでしょうか?

今年も、いつもの2階のテッシュペーパー箱で第一発見後、箱を撤去。

すると今年は台所でも見かけるようになり、こちらも侵入経路不明。

アッという間に集まり、アッという間にいなくなります。

きっと、ほんのわずかな隙間から入って来るんだと思います。

この先しばらく侵入されるので、目が離せません。

岩合光昭どうぶつ写真展

町の博物館で開催中の、岩合光昭さんの写真展に行ってきました。

地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)

地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)

こちらの本にある、岩合さんの写真と、ブラッドリー・トレバー・グリーブさんのメッセージが、パネルになった展示で、

地球が私達人間の生き方に深く訴えかけてくるような内容になっています。

本にはない写真もありました。

大きな写真のパネルからは、本からでは伝わってこないような、ハートにジーンとくるものが感じられて、

言葉にならない気持ちがわきあがり、見ていてウルウル涙してしまいました。

この気持ちは、クジラやイルカと一緒に海に入り泳いだ時とまったく同じ感覚でした。

私達人間も自然界の一部だったはずなのに、いつのまにかそれを忘れて、わがもの顔で、
まるで自然界を支配しているかのようなつもりになってしまっているのに、気づかせてくれる、
そんな意味深い内容でした。

今、日本では放射能をまいている状態で、それ以前も自然を破壊し続けてきていて、この責任はとても大きいはずなのに、このままだと私達自身の首を絞めるのも時間の問題になってきていると思います。

命が何であるかを、無言で訴えかけてくる絶滅した動物たち、絶滅寸前の動物たちなどが、身をもって教えてくれています。

ただ目の前の自分のことのみしか見えず、原発稼働や、瓦礫を国内中にばらまくことにやっきになっている役人の方々にも、このはかない命の尊さに気づいて頂けたら、何かが変わっていくんじゃないかと、そんな風に思ったりします。


アフリカ ポレポレ―親と子のセレンゲティ・ライフ (新潮文庫)

アフリカ ポレポレ―親と子のセレンゲティ・ライフ (新潮文庫)

そしてこちらの本は、岩合光昭さんが動物撮影のために、家族でアフリカの大自然で暮らした様子を、
奥様の日出子さんが書かれた本です。

国会で議論だけされている方も、一度こういった場所で暮らしてみたらどうでしょうか。

被災した福島にさえも行かず、放射能から逃げ出した役人の方がいらっしゃるのをたまたま昨日知り、
正直、やっぱりなあ・・と思ったのでした。
そう思う自分も嫌だと思いました。

朝起きたら、窓の外にキリンの大きな顔があったら、きっと人生変わるんじゃないでしょうか。

おすすめの一冊です。


岩合光昭どうぶつ写真展は、三重県【そらんぽ四日市】そらんぽ四日市[トップ]で6月24日までです。